正(前) 「体中108つも足りない、それがかtaわでなくてなんだ!」「もう一度かtaわと言ってみろ、許さねえぞ」「何度でも言ってやる!かtaわ!かtaわ!」
誤(今) 「薄汚れてやたらに牙を剥く、それがノライヌでなくてなんだ!」「もう一度ノライヌと言ってみろ、許さねえぞ」「何度でも言ってやる!ノライヌ!ノライヌ!」
うろ覚えで申し訳ありませんが、手塚治虫『どろろ』より、実質上の主人公である百鬼丸が実弟の多宝丸と斬り合うに及んで、多宝丸が百鬼丸を罵った言葉です。前者がオリジナルの手塚によるネーム、後者が文庫化に当たって誰かが書き換えたものです。変にアルファベットが混じっているのは、これもまたイザ!の仕様により、「人を不快にさせるおそれのある表現」なので慎まなくてはいけないからだそうです。でも「チョン」は人を不快にさせないようですよ。チョン!チョン!あチョンチョンチョン!連呼してみましょう。チョンがいないと、フジサンケイグループとイザ!は成り立ちませんからね。ちなみに私がイザ!ブログで書こうと思い立ったのも、フジサンケイグループが実に国に誠実なる憂国の士だからです。
さて話を戻します。以前、どっかのMLか何かで、ゲイについて議論が高まったことがありました(言うほど大したことはなかっけどね)。その時、ゲイは認めない・ゲイは異常者との一点張りでメンバーのひとりであるゲイの方を罵りまくっていた方がおりました。熱くなる余り、彼は「○○氏は間違いなく精神的不gu者です。かtaわです。」と書いてしまいました。実はそこに、四肢障害のある某氏が参加していて、これに激怒。話は流れ流れて全然関係ない方向に発展してしまったのですが、その先は余談。話題は、この四肢に障害を持つ某氏と私の個人的なやりとりです。この様子を眺めていた私は、某氏と個人的なメールのやりとりをしていました。その流れで、いわゆる差別語について語り合ったんですね。某氏いわく、「言葉が問題なのではない、意識が問題なのだ」と。
そうです。「かtaわ」「不gu者」という言葉自体に罪はありません。が、そこに込められた悪意が明白である場合、当の「かtaわ」の人間は黙っておられましょうか。言わずもがなです。冒頭に掲げた『どろろ』のエピソードは、多宝丸が百鬼丸に向けた悪意であって、作者である手塚が読者や世間一般に向けた悪意ではありません。この泥臭い、生々しいやりとりを目の当たりにして、読者は百鬼丸の持つ数奇な運命と、彼の悲惨で孤独な戦いに感じ入ることができるわけです。このシーンにおける「かtaわ」という言葉は、百鬼丸の身体のみを指しているのではなく、彼の人生そのものを暗示する言葉です。これを削除してしまえば、後者のセリフのようにまったく百鬼丸の人生と関係のない薄っぺらで無味乾燥なものになってしまいます。
差別語はもっぱら差別を目的として使用されるのですが、その差別がどこからどこへ向けられたものなのか、よく観察しなくてはなりません。そして、たとえば「バカチョンカメラ」に代表される「チョン」のように、そもそも罵倒語として存在したものに後世人種的な付加価値が与えられたものも、果たしてその付加価値に重きが置かれての発言なのか、そうでなくオリジナルの意味なのか、考えなければなりません。かように、言葉の表面的な意味のみをあげつらい、言葉を狩る行為はまこと忌まわしいものです。臭いものに蓋をして、臭いものが取り除けるわけではないのです。
前置きが長くなりました。このブログは、ネット上における差別表現を観察するのが主目的のブログです。おそらくは、朝鮮半島と朝鮮民族、または漢民族とその国家に対する差別的表現やコメント等を拾ってゆくことになると思います。特に、自らを以て憂国の士とし、ネット上における差別発言をその中心的活動としている諸氏の観察がメインになるかと思われます。前もって申し上げておきますと、私自身は少なくとも5代前までさかのぼって純粋な日本民族であり、日本国外での生活経験はあるにしろ、母語は日本語であり、国籍は日本であり、いわゆる特定アジアに与する者ではありません。では親米保守かと言うと決してそうではなく、祖先を原爆で殺された者として、彼の国の戦争犯罪を許すこともありません。
では自称憂国の士々による、特定アジアに対する差別を観察してどうするのか、という目的論ですが、はっきり申し上げますと、「笑う」ということになるでしょう。言論の自由は絶対的にこれを保証し、差別的な表現に対しては言論の自由市場において淘汰されることが望ましい。というのが日本国憲法のタテマエであります。 これが保証されないと、冒頭の『どろろ』のごとき珍事が当たり前になります。また、当然のことながら弱者を強者に見立てた上でパロディ化するブラックジョークは一切禁止、さらに突っ込むと「○○人は、▲▲である」というような一般的な国民性を描写することさえ許されなくなる危険を孕んでるわけです。
言論は徹底して自由であるべきだ、その上で、たとえば自分に四肢障害があったとして、他者から「かtaわ」と罵倒された場合どのような対応がベストでしょう。
私は、「笑う」ことであると考えます。そのような罵倒を行う人間がつくられた背景を考慮する価値はじゅうぶんにありますが、多くの場合、かような人間の知的水準は一定のレベル以下を素直に保っているものです。笑いの本質はつねに「見下す」ことにあります。すなわち、たんに知的能力の低い人々を嘲笑するのみならず、彼らの言動を純粋にエンタテインメントとして楽しむこともできるのです。剣道はコムドであり韓国固有の競技であるとか、広島と長崎の原爆記念式典に遺族はおらず左翼団体のみが集まっているとか、原爆を二個投下することで戦争被害を最小限度にとどめたとか、中国においてはiPadの模造品はオリジナルのiPadにとって有益であるとか、そんな主張に対して真っ向から挑むのはまったくばかげたことです。なぜなら、先に述べたように相手の知的水準は確実に低く、また相手は自らの主張以外に相手を容れる場所など全く予定していないからです。結局は相手の土俵に上がるだけであり、最終的には罵り合いにしかならないでしょう。第三者から観れば、どちらも決して知的ではなく、むしろ醜いものでしかありません。
ならば、笑ってやろう、という話になります。
ドリフで志村が、ひょうきん族でたけしが演じるように、彼らは「バカ」なのです。自称憂国の士たち、たとえネット上だけとはいえ、彼らは立派なコメディアンです。全力で演じる彼らのバカを笑ってあげなければむしろ失礼です。私は、このブログで多くの方々にネット上のコメディアンたちのネタをご紹介すると同時に、彼らを笑うことにこそが、遠くではありますが「言論の自由市場」の健全な発達に資すると考えております。
長くなりました。今日はこの辺にして、最後にYahoo!ニュースのコメント欄をスクショしてきましたのでごらんください。これは、「万博大使の韓国俳優 突然入隊」というニュースについたコメントです。

「知らんがな」8000人超wwwww
韓国の俳優達になんの興味もない私としても、「知らんがな」であることは肯定します。しかし、この熱心な「私もそう思う」ポイントはなんでしょう。全力で「知らんがな」叫んでどうするんだ。ほぼ同時刻に配信され、トップにも掲載されている「八嶋智人が追突 けが人なし」は、以下のような感じです。

「知らんがな」と言いつつも、八嶋氏の追突事故に興味を持つ人のおよそ二倍が、韓流スターの入隊に興味津々なようです。「興味ありません!」と大声でみんなに知らせているようなものですね。実は韓流スターの動向に興味がありますと素直になればいいじゃないか。それとも、たんに二倍の労力がクリックに割かれているだけなんでしょうかね?トピックそのものよりよほど興味深いコメント欄です。
by 聖龍疾風
ふざけるな、パクり中国